児童虐待

過去の児童虐待事件(死亡・殺人未遂など)推移や事例まとめ。

私たちの住む日本では、毎年のように児童虐待に関する事件が報道されています。

実際に児童虐待の死亡者数を見ると、2006年~2008年では100人を超えていますが、それ以外の年では横ばいとなっています。

また、心中による死亡が半数を占めている年が多いことも注目すべき点です。

 

児童虐待 死亡 事例 推移

引用 厚生労働省 第14次調査資料より 

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000361196.pdf

 

過去の虐待事件にはどのようなものがあったのでしょうか。心を痛めるような悲惨な虐待事件もありますので、体調が悪くなった方はすぐに自衛をするようお願いします。

それでは、今回は児童虐待事件をまとめていきます。

 

児童虐待事件年表

日本において、虐待が問題となってきたのは1980年代の後半になってからのことでした。

それまで、虐待というのは貧困で特殊な家庭が起こすものと考えられていたため、豊かな国には少ないものだと、あまり問題となっていなかったのです。

 

 

1988年巣鴨子供置き去り事件

この事件は後に映画『誰も知らない』(2004年公開)の元になった児童虐待です。

1988年とある大家さんから、家賃が滞納になっている部屋に子どもだけで住んでいると通報がありました。

その部屋には長男14歳、長女7歳、次女3歳の三人だけで暮らしており、押入れからは赤ん坊の死体が発見されました。

さらに2歳になる女の子が長男とその友達により殺害されており、雑木林に埋められていました。

また子どもたちは全員、出生届が出されておらず、学校にも通っていませんでした。

あまりにも想像ができない状態ですが、実は、母親は生活費約20万円を長男に渡した後、半年以上もマンションに帰らず、まれに生活費が現金書留で送られてくる程度で、発見時には電気もガスも止められていたということです。

現代社会の地域関係希薄さを象徴する例として非常に有名になった、痛ましい事件です。

 

2000年奈良長女薬殺未遂事件

この事件は、奈良県の准看護師が、保険金目当てで15歳の長女に硫酸サルブタモールを飲ませ毒殺しようとした殺人未遂事件です。

実は、長女の件で逮捕されることになりましたが、次女も長男も肺水腫、脳浮腫で亡くなっていました。子ども2人にも多額の生命保険がかけられていました。

さらに、父親も不審死を遂げており、連続殺人事件なのではないかと議論されましたが、証拠不十分で、裁判では長女の殺人未遂の懲役3年でとどまることとなりました。

明確な殺意がある虐待事件だと言えるでしょう。

ちなみに、2000年には児童虐待防止法が制定されました。

 

 

20003歳児段ボール箱内餓死事件

愛知県の武豊町で、「長女が部屋で死んでいる」と警察署に届出がありました。

亡くなった長女は餓死であるとわかり、両親が保護責任者遺棄の容疑で逮捕されました。

実は、事件が起こる4か月前病院が栄養失調状態と判断し、入院を勧めているが夫婦は断っています。

夫婦は長女(3歳)を3畳間に閉じ込め、段ボールに蓋をして放置、箱から出ようとすると殴ったとされています。死亡直前になると、箱から出ようとしなくなり、食事も口にしなくなりました。

 

 

2001年尼崎児童虐待死事件

兵庫県尼崎市の運河で、黒色のゴミ袋から、人間の手がでているのが発見されました。

中には、全裸の男児(6歳)の遺体が入っており、虐待の後があったことから、母親と養父が逮捕されました。

実は、この事件の男児は児童養護施設で保護されており、母親の家に一時帰宅しているところで死亡してしまいました。

一時帰宅をする時に、被害者の男児は「帰りたくない」と泣いており、自宅の戻っても楽しそうではない、自分の息子を見て母親は憤慨、平手うちをし、養父もそこに参加をしたとされています。

総勢な虐待の結果男児は死亡、一時帰宅の判断が間違っていたのではないかと施設側の対応も問題となりました。

母親はしきりに私も殴られて育ったと口にしており、しつけと体罰、また虐待の世代間連鎖が議論される契機にもなりました。

 

2004年岸和田中学生虐待事件

この事件は、大阪府岸和田市の中学3年生の長男を餓死寸前まで虐待した、殺人未遂事件です。

発見された当時、身長155cmに対して、体重わずか24kg、長男は意識不明の重体でした。

逮捕されたのは、父親(実父)と内縁の妻(養母)でした。2人は2002年頃から、暴行を行ったり、食事を数日間取らせないといった虐待を繰り返しました。

その結果、長男と次男は不登校となり、学校の担任が家庭に訪問するも、追い返してしまっていました。

2003年には次男が実の母親のところに逃げたが、長男はすでに逃げられる状況ではなかったとみられています。

2003年の11月に長男が衰弱死したと勘違いをし、救急車を呼ぶことで事件が発覚しました。長男は脳が委縮しており、後遺症が残りました。

このことから、学校と児童相談所の連携がより密にされるべきではないかと、議論が持ち上がりました。

 

2005年彦根・両親の娘虐待死事件

滋賀県彦根市の市農林水産課職員の父親(当時33歳)が、同居の内縁の妻(当時 25 歳)とともに長女(4歳)に虐待を繰り返し、壁に頭を打ち付けるなどの暴行をして、長浜市の病院で脳ヘルニアにより死亡しました。「言うことを聞かず、嘘をつくので殴った」と父親は供述した。父親は2ヶ月ほど前から病気のため休養中で、死亡した月頭から内縁の妻と同居を始めました。”しつけ”と称する虐待はひと月前から日常的に行われていました。

 

2005年江東区父親の4歳娘虐待死事件

無職の父親が東京都江東区の自宅で、1人で留守番をしていた長女(4歳)が冷蔵庫の中のものを勝手に食べたのに腹をたて、両足をつかんで振り回し、頭部をタンスにぶつけて死亡させました。長女の遺体には、この傷以外にも古い傷跡がいくつも見られました。

1人で留守番されていましたが、朝ご飯も昼ご飯も用意されておらず、冷蔵庫の中のものを食べたとみられています。

 

 

2006年群馬・3歳児虐待死事件

午後 8 時頃、群馬県渋川市で、無職の父親(当時 25 歳)とその妻(当時 28 歳)、「目つきが気に入らない」と腹を立て、長男(3歳)を交互に金属製モップの柄で殴り、水風呂に正座させ、約 2 時間放置して死亡させました。

夫妻は長男を児童養護施設から一時帰宅させていましたが、まもなく「しつけ」と称して平手打ちなどをするようになり、暴行は日がたつにつれて激しくなっていきました。

 

 

2006年香川・母親の3歳児放置死事件

香川県警高松北署は高松市の飲食店従業員の母親(当時 25 歳)を保護責任者遺棄容疑で逮捕しました。母親は3歳の次男に数日間食べ物を与えず餓死させていており、「次男より長男の方がかわいかった」と供述しました。

この家は母親と祖母(当時 48 歳)と子ども2人の4人暮らしでした。次男は2005年末から保育園を休んでいて、祖母が「孫が死んでいる」と警察に届けました。

 

 

200675日滋賀・両親の2歳児虐待死事件

滋賀県高島市新旭町安井川、航空自衛官空士長の父親(当時 24 歳)、その妻・当時(25 歳)が、次女(2歳)を死亡させました。女児の全身にあざがあることを不審に思った搬送先の病院が通報しました。

この事件では、夫婦と子ども3人の5人家族であり、他の子ども2人は妻の連れ子でした。次女は育児不安からしばらく児童施設に入れられていたが、5 月中旬に引き取られました。虐待は6月から日常的に行われ、食事が遅いという理由で空気銃を撃つ、熱湯をかけるといった暴行を加えていました。

施設の職員はたびたびこの家を訪問していたが留守がちであり、近所の人はこうした虐待にうすうす気づいており、噂話などをしていたが、通報した人は誰もいませんでした。

児童相談所の役割が大きいこと、虐待の発見の難しさがわかる事件です。

 

2006728日福島・3 歳児虐待死事件

この日、福島県泉崎村の無職父親(当時40歳)、妻(当時33歳)が、三男(3歳)に食事をろくに与えないで死亡させたとして、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。

三男は2005年頃からろくに食事を与えられず、また16ヶ月検診を最後に、一度も医療機関へ連れていかれませんでした。

この家には他に次女(当時8歳)、次男(当時6歳)の子どもがいるが、2人に対しても日常的に虐待を加えていました。夫妻は「食事は11回」と供述しており、空腹の次女、次男はドッグフードを食べていたといいます。両親逮捕時には 2 人はともに異常に痩せて衰弱しており、児童相談所に保護されました。

長女は1996年に生後3ヶ月で乳幼児突然死症候群(SIDS)で死亡しました。1999年には 父親が当時26ヶ月だった長男に暴行を加えたとして傷害容疑で逮捕され、長男の親権を喪失、血縁者に預けられました。この事件後、東京・稲城市から福島に移ってきましたが、児童相談所では父親の虐待歴を把握していました。次男、次女が小学校に入学すると、虐待の疑いがあるこの一家に関する相談会などが開かれたりしましたが、三男が死ぬまでどうすることもできませんでした。

 

20061022日京都・3歳児餓死事件

京都府長岡京市で運送業の父親(当時28歳)の内縁の妻(当時 39 歳)から「子どもがぐったりして動かない」と119番通報がありました。

救急隊員が駆けつけ、長男(3歳)を病院に運んだが死亡が確認されました。長男は極度に痩せていて、3 歳児の標準体重の半分の7kgほどしかありませんでした。司法解剖の結果、胃の中はからっぽで死因は低栄養状態による餓死ということがわかり、他にも顔に殴られたような複数の痣がありました。

父親は2年半前に長男と長女(当時6つ)を連れ、内縁の妻と一緒に暮らし始めた。

妻は、「姉は甘やかして育てたので、しつけを厳しくしようと思った」「おむつがとれず、9 月中頃から、しつけのつもりで殴ったり、食事を抜いたりしていた」と供述しており、実際、拓夢ちゃんの誕生日の91日からしつけを厳しくし、が排泄の意思表示ができないと食事を与えませんでした。それ以来、食事をさせたのは2回だけだったといいます。父親は「妻に『死んでしまう』と注意したが、聞いてもらえなかった」と供述していますが、彼自身が子どものために具体的に何かをするということはありませんでした。

近所の人の話によると、2005年夏に長女が自宅トイレの窓から手を出して「おなかがすいた。ご飯ちょうだい」と言っているのを何度か見たことや、2006年夏には、長男が「ママ起きて。おなかすいた」と言っている声が聞こえ、よく泣き声がしたといいます。

児童相談所には、虐待を窺わせる情報が数件入っていましたが、立ち入り調査、府警への情報伝達などは一切行っていなかったことが判明しました。

児童相談所の相談件数もこの頃、増加しており、児童虐待に対する体制が不十分だったのかもしれません。

 

20061030日苫小牧・母親の子供置き去り事件

北海道苫小牧市の無職の母親(当時20歳)は日頃から子供を疎ましく思い、この日子供2人にチャーハンを食べさせた後、置き去りにしたまま鍵をかけて市営住宅を出ました。母親は交際相手のところに泊りこんでいましたが、124日に自宅に戻ったところ三男(1歳)が餓死していた。「ママ、遅いよ」と駆け寄ってきた長男(当時4歳)は、生米や生ごみ、マヨネーズなどを食べて生き延びていました。

母親は家に戻る時、「2人とも死んでいる」と思っていたといいます。さらに三男の遺体を交際相手の家の物置に隠していました。

 

 

200713日岡山・4歳児虐待死事件

午後、岡山県倉敷市の無職の母親(当時31歳)が、「次男がのどに何かを詰まらせてぐったりしている」と119番通報、幼稚園児の次男(4歳)は病院に運ばれたが、死亡しました。救急隊員到着当時、次男は目立った外傷はなかったが、下着姿で全身が濡れ、心配停止状態でした。他にも口の中に七味唐辛子の粉がついており、多量の水を飲んでいたことがわかりました。

母親は「七味唐辛子を誤飲し、吐き出させるために多量の水を飲ませた」と話していました。

同日、倉敷署は母親を暴行容疑で逮捕しました。1217日午前4時ごろ、次男が冷蔵庫の肉を勝手に食べたことに腹を立て、顔を殴ったうえ、パジャマ姿のまま自宅アパートの外に 12時間放置しました。

母親は2002年、児童相談所に育児不安を訴えていました。そして20042月以降、近所の住民や警察、倉敷市から虐待通告が計6回もあり、同月、長男(当時8歳)を岡山市内の児童養護施設に入所させました。次男の一時保護も20052月までに計3回ありました。そのたびに「母親の強い希望で」入所はさせず、次男は自宅に戻されていました。

虐待児の兄弟で片方だけ保護するというのは、どうなのかという問題があるかと思われます。

 

2007年小野市冷蔵庫男児遺体事件

兵庫県小野市のトラック運転手の父親が、妻と前の夫の長男(4歳)が泣き止まないことに怒り、夫婦で長男の手足を縛り、衣装ケースに入れて、8時間放置され熱中症で亡くなりました。

その後遺体を冷蔵庫の野菜室に2年間放置したが、妻が自主し事件が発覚しました。

捜査の結果恒常的に、虐待を受けていたことが判明しました。児童虐待の事件としては、初の裁判員裁判制度を利用した事件となりました。

 

 

200823日高知・父親の連れ子虐待死事件

高知県南国市の無職の父親(当時31歳)が、自宅で内縁の妻(当時31歳)の連れ子である小学5年の長男を(11歳)両手で持ち上げ、畳に2回投げつけました。長男はぐったりし、4日午前に右硬膜下血腫などとのため死亡しました。父親は「自分に、はっきりしたことを言わないので腹が立った」と供述しています。

この家では、父親の怒鳴り声や子供の謝る声がたびたび聞こえてくるという近所の人からの通報が児童相談所に入っていました。また前20074月には次男が家から追い出され、児童相談所が保護するということもありました。

 

2009年西淀川区女児虐待死事件

大阪府大阪市西淀川区の小学4年生の10歳女児松本聖香ちゃんが行方不明となり、親によって家出人捜索願が出され、大阪府警が捜査しました。

その後、女児の母親、松本美奈(当時34歳)と同居男性A(当時38歳)、知人男性B(当時41歳)の3人を任意で事情聴取したところ、Aが「聖香が家のベランダで死んだので、遺体を奈良県に埋めた」と供述しました。

聖香ちゃんは生前の1月中旬から顔にアザがあり、聖香ちゃんは同居男性と女児母親から日常的な虐待を受けていたこと、また3月下旬以降は同居男性によって被害女児がベランダに放置されていることが日常的に行われていたことが判明しました。

また、聖香ちゃんは、Aに「出て行け」とどなられるたび、「家において下さい」と懇願していたが、知人のBの供述では、その際、Aは聖香さんを正座させ、「お願いです。話をさせて下さい」と前置きするよう命じていたといいます。

1日の食事は残り物の白米で作った塩などの味付けの無いおにぎり1つのみ、もしくはバナナ1本のみしか与えられず、栄養失調状態でした。

また死亡当日の午前、Aがベランダに出た際、聖香さんは「ヒマワリを探してる」とうわごとを言っていたといいます。

 

 

2010年杉並里子虐待死事件

夫(42)、長女(16)、次女(13)と4人で暮らしていた声優の鈴池静が、2009年には里親となりました。

しかし、2010年、里子の3歳女児を虐待して死亡させた傷害致死事件として逮捕されます。

里子として迎え入れてすぐに、保育園に預けられており、一般的に理解にくい行動をしています。

里親というのは、親権をもつ保護者の元で育てられない(虐待や体調不良など)子どもが、施設ではなく別の家庭環境の中で育つための制度のことを意味します。

本来、良い家庭の中で育てる意味であった里親制度で虐待が起こってしまったという点で話題になりました。

 

2010年、大阪2児餓死事件

2010年「部屋から異臭がする」との通報で駆け付けた警察が2児の遺体を発見されました。死体は死後1ヶ月ほど経っていました。母親(当時23歳)で風俗店に勤務していました。

母親は、居間の扉に粘着テープを張った上に玄関に鍵をかけて2児を自宅に閉じ込めて放置し、餓死させました。

勤務先の上司から「異臭がする」との連絡を受けたため、約50日ぶりに帰宅した際に子供の死亡を確認したが、死亡を確認した母親は「子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった」と上司にメールを送信し、その後はそのまま交際相手と遊びに出かけてホテルに宿泊し、逮捕されるまで過ごしていました。

なお遺体が発見されるまで「子供の泣き声がする」と虐待を疑う通報が児童相談所に何度かあったが発覚しませんでした。

子どものSOSを拾えなかった事件だとも言えると思います。

 

 

2011年名古屋市昌己くん虐待死事件

名古屋市名東区の自宅で中学2年生の昌己くんが母親と交際し自宅に頻繁に出入りしていた男から長期間暴行を受け死亡した事件です。昌己くんに対しては育児放棄等により複数回児童相談所に通報があり、一時保護も実施していました。

さらに、殺害される4ケ月前から顔に殴られた跡があり、学校等から児童相談所に通報が5回もありましたが、家庭訪問を繰り返すのみで一時保護せず、最終の家庭訪問から8日後に死亡しました。長期間にわたる暴行を把握しながら、児童相談所は警察に通報していませんでした。

 

 

2012年大阪府東大阪市小学6年女児殺害事件

2小学6年生の女児が母親に包丁で腹を刺され殺害された事件です。母親は精神的に不安定で、児童相談所が20108月、3人の子どもを保護していたが、20118月母親の元に戻した。20121月には警察から児童相談所に虐待の通告をし、児童相談所か家庭訪問をしたが立入り調査を拒否され、その3日後に女児は殺害されました。

 

 

2014年東京都葛飾区愛羅ちゃん虐待死事件

東京都葛飾区で坂本愛羅ちゃん(2)が肝臓損傷で失血死し、ろっ骨が折れ、40か所も体にあざがあり、父親が逮捕された事件です。児童相談所は愛羅ちゃんを「見守り中」であったが、児童相談所から警察に情報提供はなかったため、殺害される5日前に110番通報で臨場した警察官が「夫婦喧嘩です」という親の嘘に騙され、40か所もあったあざを確認できず、虐待と認識できませんでした。

警察と児童相談所の情報共有、データベース化が必要なことが指摘される事件です。

 

 

2018年、目黒女児虐待事件

東京都目黒区で度重なる虐待を受けていた5歳の女児が死亡しました。

女児は母親と元夫の間に生まれた子どもであり、2016年に別の男性と再婚、2018年の1月までは香川県に住んでいました。

香川県の児童相談所は虐待を発見し、一時保護をしていましたが、面談や指導の結果一時保護を解除、その後東京に引っ越し、香川県の児童相談所は東京の児童相談所に連絡したものの、東京で虐待はエスカレートしており、2018年の2月からほぼ寝たきりで嘔吐を繰り返すようになったといいます。

 

 

2019年、野田小4女児虐待事件

千葉県野田市で小4女児が虐待により亡くなった事件です。

女児は2017116日に野田市の小学校で行われたアンケートに、「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたり、たたかれたりしています。先生、どうにかできませんか。」と自由記入欄に回答していました。そのため、柏児童相談所が2017年ごろに被害者を一時保護していました。

しかし、このアンケートのコピーを女児に無断で、野田市教育委員会は父親に激しく要求されたという理由のみで父親に渡しており、さらに柏児童相談所は、虐待のリスクが高くなったのにもかかわらず、女児を施設から自宅へ戻すことを決定していたことが明らかとなりました。

女児は父親から首付近を鷲づかみにされる、冷水のシャワーを浴びせられる、髪を引っ張られるなどの暴行を受けた疑いがあり、あざが腹部など服の上から見えない部分に集中していたため、父親が虐待を発覚しないように暴力を加える箇所を選んでいた可能性があるとみて捜査が行われました。父親の供述によれば、休まずに立たせる暴行は13時間に渡って続いたと報じられ、母親の供述によれば、死亡する2日前には父親が女児を起こして立たせ、眠らせないことがあったとされています。

 

 

まとめ

児童虐待が社会問題として広がるにあたって、非常に痛ましい事件がマスコミを通じて報道されるようになりました。

2020年には児童虐待防止法が改正され、保護者の体罰が禁止されました。この事例からもわかるように、虐待死事件の多くは、「しつけ」という名目の体罰が横行しており、児童相談所が強く出ることができないという問題に呼応したものだと考えられます。

また、児童相談所が一時保護するも、戻してしまった結果死に至る、または養護施設から一時帰宅の結果死に至るといった事件も発生しており、虐待を起こした親の親権を喪失させる、または停止させるという措置がもっと必要ではないかと議論がされています。

児童相談所の介入の権限も強化されています。現在では警察と協力して立会い調査を行うこともできるようになり、また人員体制の増加も図られています。

しかし、大切なことは、子どもの意見を聞くということなのかもしれません。

多くの事例では、子どもの声というのは軽視されやすく、また、話を聞いたとしても「暴力は怖い」一方で「親からの離れるのも怖い」といった矛盾した言動があることもあり、読み取りが非常に難しいです。

子どもの意見に耳を傾ける、一方で親の生活環境を調整する支援を別の福祉政策と連携するなど、子どもの意見の尊重と親の環境を変えていかない限り、如何にその場の雰囲気で虐待をしないと親が努力することを誓っても、努力では難しい場面もあります。

今後いかにして、虐待から子どもを保護するのか、家庭だけの責任に子育てを押し付けない、社会全体として子どもを育てる視点が求められています。

 

参考文献

http://esashihoikuen.com/pdf/201609gyakutai.pdf

川﨑二三彦、増沢高「日本の児童虐待重大事件 2000-2010」(福村出版)

http://www.thinkkids.jp/genjou/mainly





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